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ブログ更新滞ってて申し訳ないです。

中国国内の環境からだと、FC2自体がブロックされててプロキシ使ってもとても記事を書けるような状態ではなかったです。

という言い訳はともかく、時系列順に書いていくと最新の情報がどんどん陳腐化していく気がするので、
新しめでなおかつ書きたい記事を先に書いていくつもりです。またかよと思うかもしれませんがご了承ください。

※記事が見づらくなるのを防ぐために中国は都市別にカテゴライズする予定です。

というわけで、今書きたいウイグル自治区のウルムチでの出会いについて書かせていただきました。
いつもながらのまとまってない長文で申し訳ないですが、ウイグル人に興味のある方は読んでいただければ幸いです。


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↑ウルムチは非農業労働者が100万人を越えている大都市ではあるが、漢族の割合がかなり高い都市でもある。

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2010年7月、私は世界一内陸にある都市「ウルムチ」で、日本語を話すウイグル人のRさんと出会った。
いわゆる2009年ウイグル騒乱からちょうど一年が経とうとしている時期だった。

この事件についての詳しい流れはwikipedia 2009年ウイグル騒乱などのページを見てもらった方が早いと思いますし、報道や各方面での主張が噛み合ってない部分もあるため、ここでは詳しくは説明することは避けさせていただきます。

Rさんと最初に出会った場所はウルムチの「とある場所」としか書けないが、その場では少し話をしただけで、連絡先を交換しただけで別れてしまった。

が、ウルムチを一度出て、カナス湖(アクス)・カシュガル・ホータンと旅をした後、ウイグル自治区を離れるにあたって、「現地のウイグル人と世間話以上の会話をしていない」ことを残念に思っていたので、Rさんに連絡をして忙しい中、時間を貰った。

話を聴いたのは暴動から一年と二日経過した2010年7月7日午後。
下記の写真のように軍隊や特殊警察がウルムチ市内の至るところにいる中で私たちは再会した。

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↑ただの武装警察じゃなくて特殊部隊も多数いました。特殊警察部隊略して「特警」


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↑ユースホステルのすぐ近くにも…


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↑トラック満載の兵士。自治区以外の軍区からもかなりの数の部隊が輸送されているのも見ました。


日本語の話から始まって、ちょうど一年前の事件の話、中国国内でのウイグル人の立場など、二時間掛けて話を聴いた。(ブログ記事にすることは本人の許可を得ております。)
とにかく生の声を聴きたいというのが目的で、時間も少なかったため、踏み込んだ質問はそこまでしていません。
そのため、この地域・問題に詳しい方にとっては物足りない内容かもしれません。


【日本語について】

Q. なぜ日本語を勉強したの?

A. 「親に何か一つ形になるものを勉強しなさい、お金を出すから」と言われて何となく選んだだけ。
でも、今ではウルムチにいる日本人とも交流しているし、日本と絡む形でビジネスもやってみたいと思っている。

Q. 日本語は驚くくらいのレベルで話せているけど、何年勉強しているの?

A. 日本語の学習暦は2年。だけどウイグル語と日本語は文法が似ていて、しかも私は皮肉なことに漢字が分かるから習得は速かった。
(※後日、twitterにて在日ウイグル人の方に教えていただきましたが、日本語とウイグル語は同じアルタイ語族に属するため、語順や文法が似ているそうです。)

ちなみにウルムチで日本語のスクールに行こうと思うと600元/月。都市部の中産階級出身とはいえ、現地の所得水準を考えると安くはないです。先生の中には日本人のボランティアもいたそうです。国立大学として日本語を学べるのは新疆大学の外語科のみ。(驚くべきことに、ウイグル自治区一のこの大学ではウイグル語を学ぶことは出来ないそうだ)

Q. カシュガルやホータンで日本人だと分かるとウイグル人の方々の態度が変わりますが何故ですか?

A. 日本人というより外国人自体が珍しい存在だからだと思います(笑)

※日本というキーワードで思い出した写真を数枚貼っておきます。

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↑同じウルムチのユースホステルにて。中国人の旅行者の利用も多いためこういうこともある。
下に書いてある日本人旅行者のコメントが虚しく感じられてしまう。


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↑中国のユースホステルにはたいてい万国旗がありますが日本と台湾の国旗だけは一度も見たことがありません。(塗りつぶされて中国の旗にされた台湾国旗)



【暴動について】

Q. 暴動当日はどうしていたか?

A. 学校にいました。友人から連絡が来て部屋から出ないように言われてほとんど部屋にいた。
7月5日は問題なかったが、7月7日に漢族側の反撃が行われた際に彼らの一部が大学内まで侵入してきたため、生きた心地がしなかった。(この話をしている当日のちょうど一年前である)

どれくらいの恐怖かと言うと…当時のニュース映像↓



↑俺も生きた心地がしません…

Q. 暴動の経緯については外から見ていると曖昧な部分が多いのだけれども、報道で日本人が知っている以外の情報はありますか?

A. 暴動の発端になった広東地方での漢族のウイグル人(彼らはカシュガルからの出稼ぎ労働者)への襲撃事件も中国の新聞では死者は2名と大きくもない記事で出ていたが、実際の人数は200名だと私の周辺では言われていた。そういった報道姿勢に対しての不満も暴動に繋がった原因だと私は思っている。
また、デモ自体は当初から攻撃的なものだったわけではなく穏便なものだったのは間違いないです。

(※中国のメディアは都合の悪いニュースの場合、犠牲者数を小さく出すのは結構多いのでありうるといえばありうるというのが個人的感想。ジェクンドでの地震でも犠牲者の数は5分の1程度に抑えられて報道されていたようだし)

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↑ウルムチにはイスラム風建築もあるが、都市全体は中国的都市というのが印象

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↑人民公園で民族楽器を弾くウイグル人




【暴動後について】

Q. 暴動で何が変わりましたか?


A. 色々変わりましたが、身の回りの事としては、あの事件の為に、それまであった海外への留学制度がなくなり日本へ行けなくなりました。
 
事件がなかったら今、私は日本にいたと思いますよ……(ため息

 それと暴動直後からインターネット(そして携帯のショートメールまでも)が使えなくなりました。完全に使えるようになったのは2010年5月です。

 卒業論文を書こうにも当初はインターネットが使えなかったので、情報源が書籍しかなく大変苦労したという話を聞きました。

 また、カシュガルではこれまで同時に学習を開始していたウイグル語と中国語の教育カリキュラムが、中国語をはじめに学習し、その数年後にウイグル語を学習するという形に変更されました。もちろんウイグル人の大部分は反対しています。

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↑カシュガルオールドタウンにて撮影
ほぼウイグル人の子供しかいないエリアですが漢字の落書きが…




【ウイグル人の中国国内での扱われ方について】

Q. これまで旅をしてきて、私はウイグル人を嫌う漢族にも会いましたが、実際に差別されることもあるのですか?

A. 全てを話すのは大変ですが、例を出していくとまず就職の問題があります。企業のオーナーが漢族の場合、採用時にあからさまな差別があり、優秀なウイグル人よりもそこまで優秀ではない漢族を採用するケースも多いです。場合によっては求人に「漢族のみ」と書いてある場合もあります。
 だからこそ、私はビジネスを立ち上げたいと思っているのです。

 次にパスポートの取得。留学などのケースは別として、漢族は一ヶ月もあれば取得できますが、ウイグル人の場合はお金持ちであってもコネがなければ一年取得にかかります。お金持ちでない普通の人はほとんど無理です。

Q. 上海や北京で「都市部はウイグル人の泥棒が多いから気をつけろ」と言われたことがありますが、これは本当ですか。

A. 残念ながら本当です。が、この背景には中国マフィアが大いに絡んでいて、カシュガルやホータンの農村部から子供を誘拐して、食事を与えない、暴力を振るうなどして影響下の下に置いた後、技術を教えてスリなどの泥棒をさせているという悲しい現実があります。捕まるにしてもこういったケースがほとんどです。

※この話は西安で中国人(漢族)に聴いても同じ回答が返ってきたので、中国ではかなり知られている話なのかもしれません。

↓イメージしやすいようにウイグル自治区で撮影したウイグル人の子供たちの写真を貼っておきます。

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↑ウルムチ 人民公園にて

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↑カシュガル オールドタウンにて

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↑同じくカシュガル オールドタウンにて

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↑ホータンの宿にて

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↑ホータン サンデーバザールにて


※こういった子供が上記のような被害に合っているということです。


Q. 宗教に関してはどのような制限がありますか?

A. 自分に関係するところで言えば、学生や政府系組織の関係者はモスクでの礼拝は禁止ですし、コーランすら持てません。
 学校にコーランを持ち込んで隠し読みしていたことがばれて卒業直前で退学処分になった学生もいます。

                                       <インタビュー内容ココまで>

もっと色々と話を聴きたかったのですが、Rさんの予定もあったので、掲載できるような質問は以上になります。

いかがでしたでしょうか。

ウイグル人の現状について全く知識を持たない人にとってはショッキングな内容だと思います。

ただし、この程度の話はまだ入り口であって問題はとてつもなく深いということは知ってほしい

そして別れ際にRさんが涙を浮かべながら呟いた言葉は、未だに強く心に残っている。


「今の中国での私たちウイグル人の扱いは、かつての欧米での黒人の扱いのようだ。」


一般常識レベルの歴史を知っている人間なら、この言葉の意味は汲み取れると思う。

一方、中国政府はこんな標語を平気で出している。

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↑「相互に尊敬、相互に譲歩、相互に了承、共に建築、共に繁栄、共に…」
ウルムチ郊外の天池にて撮影


いや、実現できていないからこそ標語が必要だと言うこともできるかもしれないが…
途方もない虚しさを感じざるを負えなかった。


ウイグル自治区を旅して、そしてRさんと会話して、中国という国の新たな面を知った。
いや、チベットエリアでの旅を通じて既に感じていたことではあったのだが、より中国政府に対しての不信感は大きくなったように思う。

私はここまで5ヶ月間中国を旅して、漢族以外の少数民族や蔵族も含めた、多くの人と出会って友情を育んだ。この国の美しい景色も沢山見たし、人の優しさにも沢山触れた。

その結果、この国の風土やこの国に住む人たちの事を私は好きになったが、だからといって目を閉じて良い問題では決してない。

旅が終わり次第、私は中国に留学してこの国とより深く関わっていく予定だが、チベットや内モンゴルの問題を含めて、この問題を「間に合わなくなる前に解決すること」は当事者の各民族にはもちろんのこと、将来の中国にとっても利益であると信じて、今後も注視しつつ関わっていきたいと思っています。

外からの外圧も重要ですが、中国の若い世代を中心に中国国民自体が変わっていくことが一番重要だというのが自分のスタンスです。

※知識不足の為に事実誤認の部分がある可能性もございます。問題があればご指摘ください。
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