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総督府を出た後も、近場のスターバックスに場所を移し、話は続いた。
とりあえず記念館の話は終わって、より広い分野の話を日本人と欧州人としてお互いの角度から話をした。


かつて、この総督府の場所を拠点にしていた太平天国の話をきっかけとして、キリスト教とイスラム教の話とかアイデンティティの話とか、少数民族の話、将来の話、旅の話など。

ただし、上記のキーワードを元に話が色々なところに飛んでいくので、記事としてうまくまとまっているかは、正直自信がない。ある程度行間を読みながら読んでほしい。

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↑話の発端になったのはこれ


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↑別の場所だが、洪秀全の像

ここにくるまでに勉強していたらしく、太平天国の乱がキリスト教と密接な関係があったことは知っていた。
むしろ、こちらのほうが知識が足りていなくて恥をかいたくらいだ。

話がちょうどキリスト教に関することになり、彼女が日本に来る前はフランスに在住していたこともあって、フランス人やフランス在住者にはよくする質問
「日本では中華系、朝鮮系のとの軋轢があるが、近年、フランスでは移民系の住民、特にムスリム系移民とのあつれきが大きな問題になっていると聞いているが、解決していく方向にあるのか?」という質問を彼女にしてみた。

答えはそれまでのフランス人と同じで、「より難しくなっているし、これからもなっていく」とのことだったが、その理由について彼女が言うには
「コーランに『順境せよ』といった意味の事がと書いてある以上、ムスリムが譲歩するとは思えない」とのことだった。
この意見についてはノーコメントだが、お互いの寛容さに基づいた譲歩と交流がなければ、確かに状況は好転しないだろう事は確かだ。

この質問はフランスもしくは、イスラム教国に行った際には逆の立場から聴いてみたいと思う。シビアな話なので細心の注意が必要だが。


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↑願わくば これからの足取りが平和に続くものであることを祈りたい
写真は南京大虐殺記念館で買われている「白い鳩」の足跡


続けてこちらからした、「ヨーロッパ人は常にそういった民族的軋轢について考える必要性に迫られているのか」という質問に対してはその回答に代えて、日本人においてもその必要性は同じであり、それが在日問題や、少数民族の話でいえばアイヌと琉球の問題など、日本では「日本は単一民族」という思考が支配的だが、それは問題から目を背けているだけに過ぎないとの指摘を頂いた。

個人的な意見でしかないが、日本人という民族はこういった問題に対して、直視をしたがらない民族であり、議論自体を封じ込めてきたことは反省すべきことであることは伝えた。

追い出すにしろ、受け入れるにしろ、そもそもの議論を放棄(在日の問題に関しては封印とも言えるかもしれないが)していることは恥ずべきことであると思うし、未来に禍根を残すことになるだろう。

また、個人的にラオスでのモン族以来、自分が将来的に取材したい対象として「少数民族」を考えはじめていたが、アイヌや琉球民族について彼女から言われたときに、やっと自国の中にも少数民族がいることを思い出したし、そういう自分を恥じた。


こうして民族というものに関して考えると自然と行き着くのが「アイデンティティ」というものへの問いだ。
多くの軋轢はこのアイデンティティを守ろうとする姿勢からくる。

そして、日本国内の民族問題と絡めて、「日本人はアイデンティティに関して強く意識することはないのか」という問いをもらった。

この問いに関しては答えに困ったが、前述のように問題を直視しないことを考えても、恐らく頻度としては決して多くないのではないだろうか。いや、我々の世代はその必要に迫られる時代が来ているということを無意識に感じているようにも思えるが。

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↑変な話「漫画」というものは日本のアイデンティティの大きな構成物かもしれないw
というか南京大虐殺記念館の特別展で 日本の漫画家が迎えた終戦日というモノがあって、そこで↑展示されていたので掲載したかっただけですw 漫画の選択の基準がまったくよくわかりません><



彼女はニュージーランド人だ。
本国から離れた土地に生まれた英国人という特異性もあって、彼らの多くは自己のアイデンティティの確立(もしくは確認)に対して様々な作業しなければならないという。常にアイデンティティに対する問いをする必要があると。

彼女自身は言わなかったが、その作業の中の大きなひとつが「旅」であるともいえるのではないかと思った。

東南アジアでも多くのニュージーランド人、オーストラリア人と会ってきたし、日本でも結構な数が滞在している。その理由は何なんだろうとずっと疑問に思っていたが、その疑問がひとつ解けた瞬間だった。(もちろん、英語教師などで各地で収入が得やすいという側面は大きいとは思うが)

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↑かつて孫文や戦前の日本人が唱えたように「アジア」というものにアイデンティティを求める時代が来るかもしれない
写真は中華民国の拠点があった総督府で撮影


さらに彼女と少数民族についても話をしたので次の記事で書きたいと思う。
つづきますw

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雪の記事をはさんだが、南京の記念館に関する内容に話を戻そう。

とりあえず、南京大虐殺記念館を訪問した上での自分の考えを書いておく。

被害者30万人から始まり特に数字まわりは非常に眉唾物であるし、前回のモニュメント群を見ても、非常に政治的な側面が強いという印象は強く受けた。が、不幸にもある程度の規模で戦争犯罪が行われたとも思った。

(補足すれば、情報に関してレイプが一万件あったというなら生まれてきた混血児にもインタビューをするべきだがそれは見当たらなかったし、こういった戦争犯罪は当時であればどこでも起こりうるものではないかと思っている。)

だが、そこから自分が起こす行動としては、今更ことさらに中国人に頭を下げて謝罪することではなく、
南京の多くの人が願うのと同じく平和を獲得・維持するために行動することだ。
(そういった意味では、中国政府が現在進行形で引き起こしている人権問題についても日本人は批判する権利を有すると思う)

この記念館と南京の人から受け取ったメッセージはそこに収束される。

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↑前回の記事で掲載を忘れた銅像。美術館並みの銅像、彫像の量だ


前回の記事は記念館のモニュメントに内容を絞っていたので、今回は同行した元在住の日本人の方に聞いた話とニュージーランド人との意見交換の内容を書きたいと思う。

といいながら、記念館の内容に限らず、中国人の夫を持つSさんにいくつか質問したのでそれらに対する回答をここに記しておこうと思う。(一個人の意見であることを了承の上でお読みください)



Q.南京の人たちは日本人に対して今でも悪い感情を持っているのですか?

A.戦時に大きな被害を受けたからこそ、平和に対する意識が強く、日本人に対して反日的な感情をあらわにする人はそこまで多くない。
(ただし特別な催しがある12月13日(南京陥落の日)だけは日本人は外出を避けるとのこと。)
彼女いわく、日本が統治していた吉林など東北部の方が若年層にいたるまで日本に対する感情は悪いらしい。(実際の在住経験からの話)
ただ、南京出身の夫の祖母から親戚がある日突然いなくなったといった話をきいたことがあるらしく、年代による差はあるだろう。
(ちなみに上記の12月13日には30分間南京の街中にサイレンの音が鳴り響くらしい。)



Q.南京人である旦那様は南京事件について、どんな意見を持っていますか?

A.日本も原爆投下をはじめ。アメリカから相当な被害を受けているはずなのに、なぜもっと主張しない?
 なぜそんなにアメリカに追従する?という意見を持っている。
(若干質問の意図とはずれてますが、こういう回答でした)


Q.日本と中国は将来的に友好関係を築いていけると思いますか?

A.というよりは現在は「肩を並べている」が将来的には中国が大幅に追い越して、吸収してしまうかもしれない。
 現在は日本に在住しているが日本からは「エネルギー」を感じないのでそういう点では好きではない


あくまで一意見ですが、日本をある程度知っている中国人がどのような意見を持っているかもわかったかと思います。

特に「エネルギーが感じられない」というのはよくわかる。東京はともかく、地方にきたらそう感じるのが当たり前かと。
また、日本が中国に吸収されるという議論は現在の時点では大げさかもしれないが、それくらいの危機感を日本人全体が持った方が日本人にとっては結果的にはいいと思っている。また、それくらい現在の中国の勢いに中国人自体が自身を持っているということ表れともとれる。


少しそれるが、記念館に行った後に宿の近くの北京ダックの店で食事をしたので写真を掲載しておく↓


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↑「南京」で食べる「北京」ダック

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↑ここは皮以外の肉をから揚げに…めちゃうま

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↑料理名覚えてないけどこれもうまかったなぁ

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↑こっちがまだ食べてるのにとなりでトランプやってました
日本じゃ定食屋くらいでしか見られない風景かも


最近、旨いもん食ってないなぁ…



えー失礼しました…話の続きを

食事の後はニュージーランド人と二人で総督府へ

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↑総督府内にあった絵画

食事時は議論を避けたのか 総督府に到着した途端に、「午前中に行ったミュージアム(記念館)についてどう思った?」という質問を投げかけられた。

俺の感想としては、最初に書いたとおりだ。

この質問を投げかけた彼女は大学で「博物館」に関しての特別講義もしているほどの人間だ。日本にも一年半滞在しており、広島にも沖縄にも北海道にも行っている。
そのため彼女の感想は南京大虐殺記念館と原爆平和記念資料館をはじめとした日本の戦争史関連の博物館のありかたに及んだ。(その影響で前回の記事があったりする)

彼女の感想を書こう。

大虐殺ということに対しては、被害者数の数字の議論はともかく、あの場で起こったことは戦時であればどの国でも行われる可能性のあることであるということがまず一点。

博物館(資料館)として、感想を述べれば、あの記念館は溢れんばかりの情報を蓄積し、その情報を訪問者に対してしっかりと与えているとのこと。
(写真撮影できないので、中身は紹介できないが、展示されている被害者の情報、加害者側のインタビュー、当時南京にいた外国人の記事など、真贋は別として写真やその他資料は膨大だ)

それに対して、広島の原爆平和記念博物館は被害に関する情報が全く足りておらず、訪問者に対して与える影響力も少ないであろうということを言っていた。訪問者はほとんど具体的な情報を持って帰れない。


では、その違いはなぜ生まれたのかという問いがあったが、まず政府の博物館に対する政治的姿勢が違うというものがあると思うが、個人的な意見として、日本人は特に自国にとっての黒歴史は「水に流す」つまり「忘却すること」に重きを置いているからだと思う。

そういった国民性のあらわれだということを彼女に伝えたところ、この意見に対して彼女の意見は 「日本も『記憶すること』に重きを置くべきだ」というものだった。欧州ではその傾向が強いそうだ。
(これは欧州人と話をするときには意識しておいたほうがいいだろう)

その根本にあるのは「記憶することによって再度の過ちをしないという自戒を常に持つ」ことが重要であるという意識であり、逆に言えば、歴史を忘却の彼方に意図的に追いやるという姿勢は、同じ過ちを再び犯すということにつながり信用できないという評価にもつながりかねないということだそうだ。

そういう意味ではこの記念館の戦争史関連の資料館としてのあり方は欧州人に対しては情報の質、内容は別としてもそのあり方においては違和感のないものなのだろう。

前回の記事にも少し書いたが、日本の戦争史関連の施設も国際的に情報を発信して行こうという意識が少しでもあるのなら、国民性に反したとしてもある程度見習うべきことであると思われる。

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↑閉館が迫る総督府内を足早に歩きながら彼女と話をしていた。非常に知的で素敵な女性だった。
こういう出会いがあるからバックパッカーは楽しい。


この話はまだ続きますが、記事が長くなりすぎるので次回の記事に続きます。


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虐殺記念館の記事でまじめに書きすぎて(あれでもw)疲れたので続きを書く前に閑話休題、雪の話でもしようぜ!

春節三日前、南京は雪が降った。中国で体験する初めての雪だ。
南京は緯度で言うと日本の鹿児島辺り。同時期に鹿児島の人がtwitterで「こっちは春模様」と呟いていて、
日本と同じ感覚であそこよりも北だから寒い、南だから暖かいってわけでもないことを痛感しました。

さて元地元民によれば南京は寒い日が多いとはいえ、雪は一年に一度降るか降らないからしい。

みなさん東京でもたまーに雪が降りますよね、そういう時何が起きるか。まぁ列車の遅延なんかはありますが
普段雪に慣れていない地域の人間はこうなりますね。

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走る~

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滑る~

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見事に転ぶ~○ン肉マーン♪



特に横断歩道の白癬が滑りやすいらしくほとんどの人がそこで転んでました。
雪国生まれではないので寒い中一時間くらい写真撮ってましたね。

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↑お婆ちゃんも転んでました。


この写真撮った後で助け起こしたんですが、近くの雪かきしてるおっちゃんに「あんたいい性格しとんなぁw」と皮肉言われましたw 

でもおっちゃん、それはアフリカでハゲワシに襲われそうな子供を撮影したジャーナリストを「何ですぐ助けなかったんだ!」と非難するのと一緒です。私は雪の恐ろしさを伝えるために…(嘘です。一緒じゃないですね、すいません)


で、人間が転んでもよほど運が悪くない限り怪我はしないわけですが、問題は自動車。
東京と同じく雪国でもない南京を走ってる車はスタッドレスタイヤでもないし。チェーンもはめていない車が多い。

因果応報、普段の車間距離の短さが不幸を招いてました。

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↑信号での停止時、制動距離を誤って、俺の目の前で衝突。
まぁ傷が少しついたくらいでしたが。

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↑ただでさえ高いレクサスぶつけてました。まぁ保険入ってるだろうけれども。


後日、雪が日常の中国東北部出身者にこういう人いないの?と聞いたら、雪が降りっぱなしで融けないから滑らないそうです。日本も中国も東北人が雪に強いのは共通のようです。

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↑雪の後はもちろん雪かき ホテルの従業員総出でやってました。 


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↑自分の仕事しかやらない中国人らしい風景。開いてる店の前は雪かきがしてあって、閉まってるところは… まぁ最近は日本もかわらんかな。 

というわけで雪降る南京の様子をお伝えしました。
皆さんも雪対策はちゃんとしましょうねー。

次回はまた記念館関係の話に戻ります。

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※普段とは若干記事の志向が違うのでご注意ください。
また悲惨な表現も多いので時間と精神力のある時に読まれるのがいいと思われます。

まずこの記事の意図を明らかにしておきたい。

タイトルで書いたようにこの記念館は自分が思うに具体的な情報を与える部分と、より直感的に「大虐殺」の悲惨さを伝える「印象装置」としての部分に分かれていた。

資料(捏造、誇張含む)の豊富さにも正直驚かされたが、それよりも印象装置としての力の入れ方が自分の中で強く印象に残ったため、写真を多く使うこのブログの性格もあって、その角度からこの記念館の記事を書こうと思った。この博物館がとる手法は日本人の国民性には反するかもしれないが、国際的に情報発信する博物館を作ろうと思えば、大いに学ぶべき点があると思う。


実は記念館には二日に分けて二回行っていて、初日は一人で行き、今回紹介する部分を撮影。二日目は宿で知り合った下記の二人と情報提供をしている資料館の部分を中心に回った。

同行者は「博物館」について大学で特別講義もしているレベルの知識を持った、ニュージーランド人と元南京在住の日本人。
もともと二日目は行くつもりがなかったのだが、同行することで違った見方、意見が得られると思った。
恐らく彼女たちと出会わず、記念館に一緒に行くことがなければこういった角度で記事を書くことはなかっただろう。彼女たちに深く感謝したい。



↓ここから本文。↓


南京大虐殺紀念館。正式名称:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館

この場所は南京との姉妹都市である、名古屋に住む人間ですらあまり行ったという話を聞かない。

それに加えて、今後の記事でも書くつもりだが、南京には人口600万人という数に対して500人しか日本人が住んでいないそうだ。上海の10万人と比べると余りにも少ない。この数字は南京事件と無関係ではないように思える。

ちなみに、この記念館は数年前に大規模な改築が行われ、有料だった入場料が無料になっており、年間入場者も10倍になっている。敷地面積が3倍、展示面積が11倍という大改築。
同行した元在住者によると改築前の記念館は一地方にあるボロ博物館と大差ないような印象だったようだ。
将来的に地下鉄もこちら側に延線予定らしいので更に入場者も増えるだろう。

さて、前置きがかなり長くなってしまったので写真を中心に中身を紹介していきたい。

正面から入ろうとすると圧倒されるのがこの立像だ。おそらく10メートル近くある。
子供を抱き、天を仰いでいる。さらに感情を煽るのが像の台の部分の台詞だ。

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↑建物の大きさも相まって結構な迫力だったように記憶している
(雨模様だったため写真が若干見づらいがご了承を)

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↑下から 子供を殺された母親の像

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↑ご丁寧に英語の翻訳つき

ベトナムでも似たような、立像は見たがこういった台詞はついていなかったように思う。

この巨大立像をはじめとして結構な数の銅像が入り口まで続く

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↑恐ろしいものから逃げるという表現をしたものが多い。

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↑日本兵≒悪魔という表現が使われていた

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↑戦火の中の子供の像 蛍の墓を思い出してしまった。

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↑子供の像の前に立つ子供たち
彼女たちに難しい情報は理解できないだろうが、少なくとも悲惨な事があったことは印象に残るだろう。

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↑負傷した老人を背負う子供

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↑老若男女が被害にあったといいたいのだろう

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↑レイプされた女性

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↑泣く子供と

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↑傍らで横たわる彼の母親


これらの像を横目で見ながら入場ゲートを通り記念館の中へ

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↑立像を超える大きさのモニュメント 左側には叫びをあげている男

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↑右には拘束されている人間、傷つきながらも反抗心をあらわにしている群集

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↑そして各主要言語で書かれた被害者30万人

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↑もちろん日本語でも

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↑記念館側の説明だと、この十字架は記念碑な意味しかなく、キリスト教的な意味合いは持たないそうだが
ここを訪れた欧米人には特別な意味合いを持って受け取るだろう。(というコメントを同行のニュージーランド人からいただいた)


↓この先の記念広場まで彫刻が連なる
(※写真が多すぎるとの意見もあるかもしれないが、この記念館を訪問した人間はこういった彫刻を連続的に見ることになるわけで、進めば進むほど刷り込まれていくわけだ)

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↑資料館側にもある百人切りを表していると思われる

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↑折り重なる死体

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↑拘束された捕虜

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↑瓦礫に埋まった人々

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↑泣く子供

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↑苦しみの表情

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↑赤子をかばう母親

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↑拘束され連行される人々

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↑レイプを表現したものと思われる

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↑記念広場
どういった印象を受けるか。個人的には「日本軍によって全てが荒野にされてしまった。残るのは枯れ木だけ」ということをいいたいのだろうと思う。

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↑本人は何も知らないとはいえ、その上を歩く子供を見ると何かしらの切なさを覚える人もいるかもしれない

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↑「荒廃した印象」を与える広場の横に「強い意志を宿した女性」の像
共産主義国家に共通して見られる組み合わせだ。

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↑被害者の名前が刻まれた壁

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↑葬式を表現した彫刻 左側は

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↑哀悼を表現し

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↑右側は団結を促す彫刻
「悲しみを乗り越えて国民全体が団結しよう」という流れはこちらの18番らしい

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↑至る所で東邦高校の折鶴を見たが、名古屋と姉妹都市だからという結論に。
毎年修学旅行できているようでした。
あとはカンボジアの地雷博物館でも見たがJRの労働組合の折鶴も多い。労働組合≒左ってのはさすがに安直かな


↓慰霊する場所が続く


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↑碑文と多数のろうそくをイメージした場所

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↑祈りをささげる場所



慰霊の場所と資料館を結ぶ部分にもまだモニュメントはある

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↑傷を受けた女性の銅像

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↑再現度に驚かされる

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↑当時の生存者の足跡

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↑かの有名な「The Rape of Nanking」を書いた女性アイリス・チャンの像
南京事件を英語圏に伝えたジャーナリストである。今回のテーマとは少し外れるが掲載してみた。


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↑ここにも30万人の数字

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↑恐らく日本の戦中派の人が建てたであろうもの。
記念館の中にはいくつかこういうものがある。



↓慰霊の場所を抜けた場所にある広場

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↑正面には「和平(日本語では平和)」の文字の書かれた像


↓右側にはV字像なる大型モニュメント
内容を見ても、中国の団結、繁栄とそのための闘争を促すようにしか見えなくて
ダブルスタンダードと本音が見え隠れしている印象を受けた。

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どうだろうか、このおびただしい数のモニュメントは。
資料としての情報はほとんどここでは掲示していないが、受けた印象は「いかに悲惨なことが行われたか」ということだろう。中国人であればそれに加えて愛国心までプラスされているはずだ

扇情的なキャプションもそうだが、「30万人」という数字を何度も見せ付けるのはこの事件の規模の大きさを印象づけるのに非常に効果的なやり方だと思う。
いまや日本人のほとんどは中国がこの数字を主張しているのを知っているだろうし、正直に信じる人もいるだろう。
逆に原爆の被害者の数、東京大空襲の被害者の数を日本人は簡単に言えるだろうか、海外に周知されているだろうか。私はNOだと思う。

それに比べると、「記憶しやすいわかりやすさとしつこいまでの刷り込み」という意味では優秀な機能を持った記念館であるという印象を受けた。(政治的利用をするために)やりすぎの感はあるが、日本の各資料館も見習う点はあるように思う。

次回は同行したニュージーランド人とのこの件についての議論(意見交換?)を記事にしたいと思います。

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上海の豫園で散々、借景やら窓やら特集したので、もう庭園はいいよ…と思っている読者の方も多いと思いますが、蘇州博物館のあとに行った拙政園を簡単に紹介します。ここは確か世界遺産でしたね。

とまぁそのまえに若干腹ごしらえ↓

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↑これから何度と無く食べることになる牛肉面
拙政園の近くの飯屋に入ったので若干観光地料金だったりしました…
ただ、ここまでの記事を読んでいただければ分かるように上海の記事では飯の写真がなかったりします。
実はジャンクフードばっかり食べてて中国の料理食べてませんでした…なのでこれが一番最初の中華料理だったりします。

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↑辛いの好きなのでこういうのも遠慮なく入れていきます。
というか店員さん俺のこと中国人だと思ってて、容赦なかったなぁ。


というわけで腹ごしらえも終わって拙政園へGO

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↑入り口

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↑案内板…よく見ると「トイし」になってます。よくある間違いだなぁと思えるくらい変な日本語が世界にはあふれております。

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↑おなじみの窓 もう見飽きたお

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↑近くでくしゃみをすると窓の中から魔人が(以下略)

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↑足元を見るとここにも色々造形が 金魚

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↑鯉

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↑瓦を間近で撮れたのはここくらい

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↑別角度

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↑日の丸

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↑帰りの繁華街にあった旧正月を祝うツリー デカイっす

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↑拡大




実は 拙政園の後に「留園」というところまで行って、その間を路地裏を通りながら色々写真も撮ってたんですが、掲載しようと思って確認したらどこにも見つからず…まぁこのブログ的には写真が無ければ、その出来事は無いのと一緒だと思うので蘇州を終わらせて南京に行きましょう。

留園までの裏路地は結構楽しかったので残念ですが…。留園自体も80枚くらい写真撮ってたし。
あーもったいねー


というわけで次回、日本人があまり行きたがらない南京へ!

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今回の記事 若干長いです。
平江路をそのまま15分くらい歩いて北上していくと拙政園などの有名庭園があるエリアに辿り着きます。

拙政園のすぐ西の「忠王府」という太平道の拠点があった場所に併設されているのが、この蘇州博物館だ。(なんと無料開放中)

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↑前にも出したが、別に熱くなれる博物館なわけではないw

数年前に改築されたばかりなので、新しいのは当たり前なのだが
建物が面白い。こういう変わった建築は美術館に多いが…
まぁ変態度でいけばそこまで高くないのだが、周辺にある庭園の建造物と現代建築のデザインを足して2で割った感じを目指したのであろうなという印象は受けた。

展示品に行く前に建物を一通り見ていきましょう

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↑玄関ホール。上海の借景とか窓特集を若干思い出しませんか?


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↑玄関ホール天井

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↑通路 窓の形も意識してますね。

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↑通路2

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↑中庭の一部

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↑中庭側から玄関ホールを見るとこんな感じ 中国は池を作るの好きですね
(日本も影響を受けてかそうですが)こういう水面に反転させる景色が多いです。

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↑展示物がある建物を中庭から。うーん面白い。

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↑何かしらやりたかった様だが残念な印象しか受けなかった。

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↑白い壁に黒い屋根。こちらの古い建物の共通の特徴

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↑カフェにあった窓

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↑建物内の休憩所


建物から感じたのは上海からの距離が近いのもあって観光客も多いから、結構儲かったんだろうなぁということw

目を引いた作品を一部だけ載せておきますね。


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↑象牙の一本彫り

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↑拡大。相当腕のいい職人が時間を掛けて彫刻したに違いない

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↑古い鳥かごまで展示

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↑お偉方の衣装

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↑龍の刺繍で中国らしい 




余談ですが、ここの玄関ホールで写真撮ってたら
現地の大学生に話しかけられた。中国語しゃべれませんとのたまったら、流暢な英語で質問を頂きましたw
(大学のレベルによるけどこれ日本だったらどれくらいの学生ができるんのかな?)

なんでも、大学のゼミの宿題で蘇州の開発についてアンケート調査をしているそうだ。
1.蘇州についてどう思うか
2.街の開発の仕方についてどう思うか
3.古い文化の保護と観光開発について(ここらへんどういう意図かよくわからんかった)
4.あなたの国(恐らく中国人には地域と聴いているんだろう)と比べてどうか

全体的に抽象的すぎて、抽象的にしか回答できなかったけどこんな感じでした。
まぁ、どこの国の大学生も変わらんねと思いつつ、観光都市に住む大学生らしい調査だなとも思いましたね。

長い記事を読んでいただきありがとうございます。
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